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日記ブログのはずが、いつのまにか雑多なレビュー集になっていました。現在は、オーディオ初心者のbenoitを生暖かく見守るブログになっています。
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基本的には、このブログでは医療関係のことは書かないのだけれども、これだけは触れないわけにはいかない。
癒着胎盤剥離の手術に伴う死亡にて逮捕(書類送検ではない)されていた加藤医師の無罪が1審で下されました。
まあ、これで有罪判決が出たら、多分数年後には国内で出産することが不可能になっていたとしてもおかしくありませんでしたが。
また、産婦人科領域に限らず、この判決結果によってはすべての診療科において多大なる被害が生じたと思います。
もちろん、この被害というのは医者が訴えられて被害を受けることだけではありません。最終的に日本国民がマトモな医療を受けられなくなることになるのです。
実際のところ、僕が住んでいるような地方では、肌で感じられるほどの医療の退化があります。正直な話、抜本的な医療対策が無く現状が続けば数年後には、地方で重病にかかれば死ぬ以外の選択肢が無くなってもおかしくはないかと考えます。
僕も医者でなかったら、まず医療の事なんて考えなかった思うので、他人に医療のことを考えろなんて言う権限なんてないと思うんだけど(いったい誰に、そんな権限があるっていうんだ:村上春樹風)、現状は普通の人達が考えている以上に悪いと感じる。
当たり前のことですが、人は必ず死にます。我々のような人種は、常に(自分自身も含めて)死を意識して生きています。
まあ、みんながそうなっては辛気くさくなってしまうし、健全な社会とは言えなくなってしまうと思うのですが、たまには避けられない死と向かい合うのも人生を豊かにするのに必要かと思います。
何か、後半はタダの中2病患者の独り言になっていますが、今日のところはこの辺で。

ではでは

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無題
私は医療従事者ではないですが、自分の将来のことを考えたら無罪でよかったと思いました。村上春樹風に言うなら、「僕にも意見を言う権利はある」でしょうか。

このブログで、まれに医療関係の話題が出ますが、結構まじめに読んでいます。タミフルの話とかも専門家の意見として興味深かったです。事実、そういう結論になりましたし。
アラゴロク 2008/08/20(Wed)12:48:43 編集
無題
アラゴロクさん、コメントありがとうございます。
まさか、僕のブログで医療関係のエントリーを気にしていただけるとは思っていませんでした。
ヘッドホン以上に、もっとキチンと意見を発している方がゴロゴロいますからね。
僕の場合は、立場上どうしても医者よりの意見になってしまいますが、非医療関係の方とのギャップを自覚するためにもマスコミの意見をたたくだけというスタンスは避けるように心がけてはいます。
どうしても言い訳じみてしまうとは思いますが、すべての患者さんの命を救えるわけではありません。
我々は魔法使いではないのです。
とはいえ、厳しい意見に晒されて襟元をただすことは必要ですけどね。

ではでは
benoit URL 2008/08/20(Wed)14:47:24 編集
無題
おぉ。。少し前に医者を志してる友人から聞きました。 このままだと医者は身動きが取れなくなって些細なミスでも刑事責任を問われることになる、患者の命を救うために全身全霊を掛けているのに、医療にかんする知識がない陪審員によって裁かれるの馬鹿らしい等と嘆いてました。 

彼は日本の医療法に関する法令の改正を望んでいましたが、確かに真っ当に医者という立場上の責任を見通せる人に判断してもらいたいという気持ちは、自分も同意です。
ed URL 2008/08/21(Thu)08:23:04 編集
無題
edさん、コメントありがとうございます。
友人は思慮深い方のようですね。僕の場合は医者になってから、気づきましたww
まあ、リスクに関してはタクシーやトラックの運転手さんだって飛び出してきた人をひいて、人生オワタになることもあると思いますので、仕方がないことだとは思っています。
ただ、edさんがおっしゃるとおり怖いのは、その後についてくる医療に対する無理解です。
正直な話、現代の医療水準というのは、ある程度の重症患者さんというのは「助かれば運が良かった」というレベルの物です。以前よりは、救える患者さんが若干増えたという物でしかありません。
そもそも心筋梗塞などでは、病院にたどり着く前に1/3の方が亡くなってしまいます。
個人的には、この現実と患者さんの想像する医療レベルの格差というのは、「恐怖」によって喚起されているのではないかと愚考します。
人間誰でも死ぬのは怖いと思います。自分自身だけでなく家族、友人が突然亡くなることも怖いでしょう。
しかし残念ながら、「死」というのは日常の中に普遍的に存在しているのです。
現代の日本で普通に生活している方は、あまり死を意識することは無いかと思います。それが、病気・けがという事をきっかけに意識の表面に上がってきます。
その時に、医者や現代の医療が自分や家族を救えないかもしれないと考えるのは、とても恐ろしいことです。ましてや、病気に対する専門的な知識や治療法などを把握していないのですから、恐怖は雪だるま式にふくらんでいきます。
その時に多くの人達に起こるのが、医者・医療の神格化です。「現代の医療であれば、必ず自分は助かる」と思いたくなっていますのです。
もちろん、この心の動きを非難するつもりは全くありません。人間として、当然の心理だと思います。
ただ、残念なことに現実とは異なります。
この希望と現実のギャップを受け入れることは、かなり難しいことだと思います。どう考えても、思考停止しておいた方が楽に決まっています。
そして、不幸にも患者さんが亡くなった時はご家族などは、この「本来なら助かるはずだった」という地点から思考をスタートされるケースがままあります。
こうなってしまうと、もうスタート地点で医師とご家族の考えの差がありますので、どこまで行っても話は平行線です。
もちろん、そういった事態を招かないようにインフィームドコンセントが重要になるわけで、これも医者の重要な仕事の一つです。少なくとも、僕の周りを見渡す限りは、患者さんとのトラブルが多い医者は、治療法と言うよりはインフォームドコンセントの面で問題があることが多いように思えます。
話がそれてしまいましたが、病気や死に対する恐怖を防ぐためには、ある種の盲信が必要になってきてしまうのは仕方がないことだと思います。
ですので、ここをキチンと理解していただけるよう信頼関係を築けるかが肝なのですが、これが難しいんですよね。
ちなみに我々が死に対して鈍感になっているという面は否定できる物では無いかと思います。
多分、僕らは職業軍人の次に死に接することが多い職業なので、どうしても普通の方達と生死感が異なってきてしまいますが、これは常にそれを自覚することが必要だと思います。
どうにも長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方は、ありがとうございます。
benoit URL 2008/08/21(Thu)10:31:33 編集
無題
ふむふむ!
とても参考になる話でした。患者と医者の間に偏在するある種の先入観を拭う手立てはないんでしょうかね。。

僕自身も認識を改める必要性を感じてます。ウェブ上で事故写真やあるドキュメンタリー式の映画"Faces of Death”を視聴した後に生命の死に対するある種の感覚が顕在化したのを思い出します。 ある現象学の哲学者は 人間は死を心から認識した上で自分の実存を見据えるべし といっていましたが、まさにその通りですね。 言葉以上の意味を持ってるよう無きがします。

ではまたw
ed URL 2008/08/23(Sat)10:27:41 編集
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